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ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝の感想

 劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-の感想です。

 最初はテレビ版を一通り観て、原作小説は未読の状態で観に行きました。
 好きな映画は映画館を出たあとに、多幸感があるんですよねー。この映画もそうで、1週間ぐらい経つとまた観たくなる。なんだかんだでテレビ版見返したりしながら、週1ぐらいのペースで観てます。

 とても好きな映画になってしまったけど、その中でも好きな演出を紹介します。例によってネタバレとか気にしてないので、嫌な人は観てきてから読んでください。

イザベラ・ヨークと白椿

 イザベラの部屋には小さなテーブルがあり、その上には白椿の花が飾られてます。

 白椿はドロッセル王国の国花です。

 そのドロッセル王国の王女と、隣国の王子の仲をとりもち、結婚に導いた立役者がヴァイオレットでした(テレビ版5話)。この外伝で家庭教師の依頼を受けたのも、王女の乳母からそのときの功績を見込んでされたものであり、恋文に「定評があります」というのもあながち事実無根の話ではありません。イザベラは信じてなさそうでしたけど。

 生徒達がガヤで「公開恋文、素敵でしたわ」なんて言ってるのも、ヴァイオレットが書いた(関わった)恋文なんでしょう。

 白い椿の花言葉は「完全なる美しさ」「至上の愛らしさ」。この物語において、白椿はイザベラ・ヨークを表しているように思います。

イザベラ・ヨークとロウソク

 テーブルの上にはもう一つ象徴的なアイテムとして、ロウソクが飾られています。

 ロウソクは期間限定の象徴で、いずれ終わる幸せな日々を表すアイテムとして置かれているように思います。

 ロウソクはテイラーとの生活の回想シーンにも出てきてて、イザベラの部屋にあるロウソクと回想シーンのそれは長さが同期しています。それは「エイミーとテイラーの幸せな生活」と、「イザベラとヴァイオレットの幸せな生活」をイコールで繋ぐ。だんだん短くなっていくロウソクが、イザベラとヴァイオレットの生活も残り少ないものであることを物語っていて、切ないですね。

 別の見方をすれば、ロウソクは、過去を回想させる装置であり、『エイミー・バートレットであった記憶』を表します。それはつまり、過去として切り捨てられたエイミーそのものでもあります。

 浴室でキャンドルランタンを見つめるイザベラ。キャンドルランタンは檻に囚われたエイミー自身。左側の白椿の模様が描かれた瓶は、これからイザベラが変わっていくものの象徴ではないでしょうか。

 ふつう、幼少期の思い出は自分の中で生き続けますが、イザベラはそれすらも禁じられている。居室のテーブル、白椿のそばのロウソクが燃え尽きるとき、イザベラの中のエイミーだった部分がなくなり、純粋な白椿、完全なるイザベラ・ヨークに生まれ変わる。そのとき、エイミー・バートレットはこの世から姿を消します。そうした運命を表しているように思います。

 ヴァイオレットとの最後の夜に「手紙を書いて欲しい」と頼むイザベラ。その奥に重なって映る白椿とロウソク。翌朝、ロウソクは燃え尽きてなくなっている。エイミー・バートレットはこの瞬間をもって死に、イザベラ・ヨークへと生まれ変わったのです。

 「寂しくなったら名前を呼んで」

 名前を呼んでくれれば、僕はテイラーの中で生き続ける。テイラーへの手紙は、エイミーの遺言状なんじゃないか、そんな風に思いました。

顔が見えない会話

 まだイザベラとヴァイオレットがあまり親しくなく、イザベラが話しかけて「教育に関係すること以外は話すなとおっしゃいました」みたいなことを言うとき、ヴァイオレットは足しか見えません(最初はいないのかと思った)。これはイザベラから見て、ヴァイオレットの顔、つまり人となりがまだ見えていないということでしょう。

 二人の仲を表す演出は他にもありました。

 冒頭でヴァイオレットの手を払うイザベラ→小言を言うヴァイオレットの手を小突くイザベラ→「エスコートしてくださる?」とその手をヴァイオレットに取らせるイザベラ……という感じで、ヴァイオレットの手に対するイザベラの態度が変化します。徐々にヴァイオレットに対する態度が軟化していくイザベラの様子が表されている。

 また、イザベラの部屋の窓は最初カーテンが掛かっていますが、途中でカーテンが開かれ、ヴァイオレットの髪をいじるシーンでは窓が開いています。部屋はその人の心の中を表していて、窓が開いているのは文字通り『心を開いた』演出ですね。

星座の話

 イザベラが眠れない夜に、ヴァイオレットが星の話をしてあげるシーンがありました。

 星と言えば、テレビ版6話で天文台の仕事を手伝ったことがあり、そこで修復したアリー彗星にまつわる本の一節がこんな感じでした。

その別離は悲劇にあらず
永遠の時流れる妖精の国にて
新たな器を授かりて
その魂は未来永劫守られるがゆえに…

 高貴な人が彗星に射抜かれて命を落とす。しかしその死は別離ではなく、永遠の時が流れる妖精の国への生まれ変わりの儀式なのだ、という話。
 イザベラはこの話を聞いて、テイラーがエイミーの名前を呼ぶ限り、妖精の国で生き続けられると考えたのかもしれないですね。

どこにも行けませんよ

 イザベラとヴァイオレットが段々仲良くなって、髪の毛で遊んだりするシーンのあと、遅刻しそうになって急いで学校に向かう途中。二人でどっかに行っちゃおうよー、と誘うイザベラに、ヴァイオレットが「どこにも行けませんよ」と言う。

 なんか氷のように冷たいセリフだなと思うんだけど、ぱっと見ショックを受けた風でもなく、そのあとなんとなくライデンにいるホッジンズが雨に降られるシーンにつながります。その後舞台は再び学校に戻り、イザベラが弱音を吐くシーンに。

 ここ最初は若干意味わからなかったんですけど、やっぱりイザベラはショックを受けていて、雨のライデンはイザベラの心象風景を表しているように思います。

 弱音を吐くシーンは「どこにも行けませんよ」と言われた日と同じ日です。ヴァイオレットの髪型を見ると、そうとわかる。この日はイザベラの気まぐれに付き合ったおかげで、時間が足りなくなり、いつもの髪型じゃなく、軽く縛っただけになっているんですが、そのまま同じ髪型でした。

 冷たいことを言われてショックを受け、八つ当たりをした。でもそのあとのヴァイオレットの発言で反省し、すぐに謝るのです……。ええヤツや。

 ヴァイオレットはウソが言えないので、最後の別れのシーンでも、イザベラの「もう会えないのかな?」に対して、「それはわかりません」と正直に答えます。もうヴァイオレットのことを理解しているイザベラは、多分『ヴァイオレットらしいな』なんて思ったはず。

 でも付け足して「ですがエイミー様。私は自動手記人形です」と、初めてエイミーの名前で呼ぶ。依頼主としてのイザベラ・ヨークではなく、友人、エイミー・バートレットに……という風で。細かいですが、なかなか痺れる演出でした。

 前半が終わり、後半の冒頭。水の中のような静謐な雰囲気を続けてきた物語に、突然投げ込まれる超重量の錨…! 外の世界に出てきたんだなあというダイナミックさを感じました。ちょっとしたことだけど、好きな演出です。

エリカのリアクション

 CH郵便社にベネディクトがテイラーを連れてきたとき、アイリスの発言にエリカが必要以上に取り乱すのがカワイイ。テレビ版ではエリカがベネディクトに惚れている、というような描写もありましたね。

月とアン・マグノリア

 テレビ版10話にアン・マグノリアという少女が登場します。彼女には病弱な母がおり、その母がヴァイオレットに手紙の代筆を依頼する。アンはヴァイオレットに母を取られて嫉妬し怒るんですが、同時に優しくしてくれるヴァイオレットに徐々に心を開いていきます。

 アンは母の余命が長くないことを悟っており、その残り少ない母との時間を奪うヴァイオレットに怒りをぶつけます。

 やがてヴァイオレットは去り、ほどなくして母は命を落とします。1人になったアンの元に、手紙が届きます。母とヴァイオレットは娘を1人にさせないために、未来の娘に向けて手紙を書いていたのです。

 このエピソードで、たった1カットですが、印象的だなと思ったのは夜空に浮かぶ月が描かれるシーン。遠く離れていても「愛する人は ずっと見守っている」。月は母のイメージですよね。

 今回の劇場版にも月が出てくるシーンがあります。月と建築中の電波塔が描かれる、夜のライデンです。電波塔は変わっていくもの、どんどん成長していく、テイラーの象徴。対する月は、変わらないもの、ずっとそこにあるもの。家柄という古い仕組みに飲み込まれてしまった、イザベラの象徴です。

 相反する2つのモチーフは、けれども左に月、右に電波塔と1つのカットに並んで描かれ、あたかも子供の成長を見守る母のような、そんな佇まいでありました。

エイミーの傘

 日傘はこのシリーズにとって特別なアイテムです。テレビ版7話でヴァイオレットが小説家の手伝いをしたとき、小説の中で傘は空を飛ぶための魔法のアイテムとして描かれます。ヴァイオレットが持っている青い日傘は、そのときの貰い物ですね。

 テイラーとベネディクトがエイミーに会いに行ったとき、エイミーは日傘をさしています。空を飛ぶためのアイテムではないかもしれないですが、エイミーにとってはイザベラでいるための、鎧のようなアイテムなのではないでしょうか。テイラーからの手紙を受け取って、その鎧を取り落し、イザベラとしての仮面が外され、エイミーに戻ってしまう……そんな演出に感じました。

三つ編みとフラクタル構造

 三つ編みを真似ようとして失敗するテイラーに、ヴァイオレットが「2つだと解けてしまいますよ。3つを交差して編むと解けないのです」と教えるシーン。これはエイミーとテイラーの二人だったら離れ離れになった時点で終わってしまっていた物語に、ヴァイオレットが加わったことでまた二人が巡り逢い、大きな一つの物語になっていることを示唆しています。

 ただこれ、全体だとこの3人ですが、前後編に分けても成立するように思います。

 前半はイザベラとヴァイオレットだけの物語だと悲しい終わり方ですが、アシュリーが加わることでこの後のイザベラの話にも変化が出るようで、少しポジティブな終わり方になっています。

 後半は言うまでもなく、テイラーとヴァイオレットだけであればエイミーにたどり着けなかったかもしれないですが、ベネディクトが加わることでテイラーとエイミーがつながることになる。

 こういう全体の構造と、部分の構造が相似形になっている構造のことをフラクタル構造と言うのだそうです。

 自然界にある代表的なフラクタル構造のひとつが、雪の結晶。エイミーがテイラーを妹にする、と決めたシーンで、一度雪の結晶がフォーカスされ、それがテイラーの手に落ちて溶け、二人の手にフォーカスされるカットがありますが、もしかしたらあのカット、この構造のことを示唆しているのかもしれない、などと思いました。

 前半と後半で、エイミーとテイラーが相似形になっているシーンもありますし、相似形が隠されたテーマみたいなところがあるのかもしれません。

右手と左手

 前述した通り、この映画では前半と後半で対比するシーンが度々出てきます。例えば窓から外を眺めるシーン。エイミーは左に、テイラーは右に寄って描かれます。風呂上がりにヴァイオレットが髪を乾かしてくれるとき、エイミーは左向きに、テイラーは右向きに描かれました。空に向かって手を伸ばすとき、エイミーは左手を、テイラーは右手を伸ばします。

 特にこの手の対比は重要に思います。冒頭、ライデンに向かう船の上で、テイラーは空に向かって手を伸ばします。しかしそのカットでは中央を通るワイヤーが、画面を左右に分断しています。

 手と言えば、CH郵便社のシンボルにもなっている通り『手を重ねる』行為はこの物語において、象徴的に扱われている気がします。

 デビュタントの日、エイミーの震える左手をヴァイオレットが掴んで支えました。テイラーが手紙を書くとき、タイプライターを打つ右手にそっと手を添えて支えたのもヴァイオレットでした。

 エイミーがテイラーを妹にすると決意したその日、エイミーの右手とテイラーの左手は繋がれました。その手は今も繋がれたままになっている。だから自由になるのは反対側の手だけで、その手を取ったのはヴァイオレットです。

 エイミーの左手と、テイラーの右手をヴァイオレットが取った。だから3人は、輪という永遠になった。それで初めて、エイミーとテイラーの間にあった壁が取り払われました。だから後半パートで、エイミーが空に手を伸ばすとき、画面を遮るものはなにもなくなっているのだと思います。

ぬいぐるみ

 この映画には3つのぬいぐるみが登場します。ヴァイオレットのは犬で、これはテレビ版第1話でホッジンズから贈られたものですが、犬を選んだ理由にディートフリート(ギルベルトの兄)から「ギルベルトの犬」と呼ばれていたから、と答えており、つまり犬のぬいぐるみはヴァイオレット自身を表します。テレビ版で最初は部屋の中に雑に転がされているんですが、終盤になると机の上に飾られるようになりました。ヴァイオレットの心の中が、徐々に整理されていく過程が表現されているように思います。

 今回の劇場版でも、後半パートではヴァイオレットの部屋に飾られているんですが、テレビ版では部屋の中を向いていたのが、劇場版では外向きに、窓の外を眺めるような形になっています。部屋の中というのはその人の心の内を表していますから、テレビ版では自分の内面を見つめていたヴァイオレットが、外伝では他者に対して目を向けていることを表しているように思います。

 で、クマです。エイミーとテイラーも、それぞれクマのぬいぐるみを持っています。こっちはそれぞれ、エイミーはテイラーを、テイラーはエイミーを表しているんじゃないでしょうか。

 テイラーのクマはエイミーにもらったものだから。

 エイミーのクマは赤い宝石を胸につけます。ヴァイオレットがエメラルドの宝石に少佐の瞳を見るように、エイミーはテイラーの瞳を赤い宝石に見るのでしょう。

 ラストシーン。窓の左に白椿。窓枠に腕を乗せ、ぬいぐるみをぶらぶらさせるテイラー。これ、ぬいぐるみを落とさないかハラハラしたんですけど、この不自然さを意図したものと考えた場合、ぬいぐるみはエイミー、白椿はイザベラ、部屋の中は檻。テイラーがエイミーを檻から連れ出した、と読めないでしょうか。

 「君の名を呼ぶ、それだけで二人の絆は永遠なんだ」

 エイミーはテイラーの未来と引き換えに自分の人生を売り渡し、テイラーに遺言を残した。しかしテイラーは成長し、手紙を送ることでエイミーを蘇らせた。内に秘めていることで獲得できていた永遠が、外に向けて解放された、そんな風に感じられるラストでした。

まとめ

 ゴチャゴチャ言ってますけど、本音を言うとぼくは後半パートの悠木碧さん演じるテイラーを観ているだけでだいぶ幸せなんですよね。なんだあれ、天使か。

 単に好きなところで言うと書かなかったこともたくさんあります。例えばデビュタントで踊るときに、組んだ手が一番上に来ると『チーン』て音がなるところとか。ライデンについたテイラーが坂道を登ってくると、向こう側に海が見えて『鎌倉……!』って思ったりとか。キャンディーもらってご機嫌なテイラーとヴァイオレットの「あたし、そんなに欲しそうだった?」「はい」って会話とか。

 色々考えなくても、とにかく幸せな映画だから、まだ観てない人はぜひ観てほしいです。ぼくも演出の読解は結構やったから、今度行くときはお酒でも飲みながら、ぼんやり世界に浸ってくるようにしたいと思います。

 鋭意製作中とされている本編劇場版もとても楽しみですね。我々気長に待ちますので、無理せず作って欲しいなと思います。