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『リズと青い鳥』物語の構造とテーマ

次はまた5年後に、とか言っといてまた書く。
この前は立ち位置の話を書いたので、今回は物語の構造と、テーマについて、自分の解釈を書いてみる。
前回同様ネタバレ全開なので、嫌な人は見ないでください。

というわけで本題。
この映画は複数のレイヤーの物語が重なり合ってできていて。
全体像を掴むためには、それらを順番に、一つひとつ読み解く必要がある。なので、順を追ってみていきたい。

劇中童話『リズと青い鳥

まずは劇中童話『リズと青い鳥』について。
童話『リズと青い鳥』は、主人公リズの成長物語である。
リズは何らかの理由ですでに両親をなくしており、青い鳥はそんなリズを見て、自分が家族になろうと、人間の姿になってやってくる。リズは少女を受け入れ、青い鳥はリズにとっての擬似家族になる。やがて少女との暮らしの中で、リズは少女が青い鳥だと気づいてしまう。リズは少女と別れたくない。しかし、いつまでもその関係に甘え、本来の生きる場所である「大空を飛び回る」ことを奪ってはいけない。そう考え、別れを決意する。

別れの場面と「赤い木の実」

クライマックスの別れの場面。家に帰ってきた少女に、リズは別れを告げる。
リズは少女に何といったのか?それは劇中では明言されない。
「あなたはこの家を出るべきだわ」
あるいはもっと厳しい言い方だったのかもしれない。
「あなたは出ていかなければいけないわ」
でも、少女にとってはとても、とても辛い、聞きたくない一言であったのは間違いない。少女はカゴを取り落とし、中にあふれていた真っ赤な木の実が、床にぶちまけられる。
この赤い木の実はなにか。
童話の中で、リズは少女に木の実の採り方を教えていた。木の実を煮込んだジャムを、リズは少女に食べさせた。食卓にそのまま並んでいることもあった。
木の実とは違うが、ベッドで寝ている少女に、リズはシチューを振る舞う。シチューの色も、赤だった。
この“赤”は、血の暗喩ではないか。
嵐に打たれ、弱っていた青い鳥に、リズは血を通わせ、生き返らせた。別れの場面では反対に、リズの言葉は少女の胸をえぐり、大きな傷をつける。その傷口から流れ出た血が、床を真っ赤に染めるのだ。
『さあ、ここから出て、高く遠く羽ばたいて。その美しいあなたの姿を、どうか私に見送らせて』
『これが、私の愛の在り方』
一人ぼっちだったリズが手に入れた、たった一人の家族。その家族と、自らの意思で決別する。私はもう、一人でも大丈夫だから。どうかあなたの羽ばたく姿を見せてください。『愛してるわ』と。

童話の主題

この物語の主題をひとつつけるなら、「愛の在り方」ではないか。リズのそれは、青い鳥の少女とずっと一緒にいることではなく、決別だった。
青い鳥の少女との生活は終わり、リズはまた一人に戻ってしまった。しかし元通りという訳ではない。
彼女自身の「愛の在り方」を見つけたことで、成長し、大人になり、これからの人生を豊かに生きることができる。そう言う物語だと思う。

現実世界の希美とみぞれ

劇中童話の主題は「愛の在り方」であり、リズを主役とした成長物語だった。
では、希美とみぞれのいる現実世界はどうだろう。現実世界の物語も、同じ主題をなぞることになる。そしてその際の役割は、リズ=傘木希美、青い鳥=鎧塚みぞれだ。
物語序盤では自分が青い鳥で、みぞれがリズだと思っていた希美は、中盤以降、その見立てが逆だったことに気付く。その後みぞれも、希美の態度や、新山先生の指導からその事実を認識し、演奏者として覚醒する。

劇中曲『リズと青い鳥

劇中童話と現実世界の間にもう一つ、相似形を持った物語世界がある。それが、劇中曲『リズと青い鳥』だ。
第三楽章のオーボエとフルートの掛け合いは、リズと少女の別れ。オーボエパートを吹いた高坂麗奈のトランペットを、吉川優子は「強気なリズ」と評した。
リズはオーボエ、青い鳥はフルート。だからこそみぞれは、自然に自身とリズを重ね、その心境の不一致に苦しむ。
物語終盤、みぞれは自身を青い鳥に重ねることで、その心境を理解する。そして同時に、童話の、楽曲の主題を、傘木希美の「愛の在り方」を、理解してしまう。
合奏シーンは、童話の場面の再現だ。
みぞれは喋りがうまくない。でもそれは、演奏技術とのトレードで。こと演奏になれば、言葉で喋るよりもはるかに饒舌になる。みぞれはそのオーボエに、“リズとして”どんな思いを乗せたのだろう。希美にとって、その演奏はどのように聞こえたのだろう。
映画の紹介PVにおいて、合奏シーンの希美のあとには、青い鳥の少女がカゴを取り落とすシーンが挿入される。希美の青い鳥は、別れを告げるリズの言葉に打ちひしがれ、涙と血を流し、それでもなお、飛び立とうとする。ボロボロになりながらも、音の出ないフルートに、息を吹き込み続ける。それが青い鳥としての、愛の在り方だから。あの合奏は、そんなシーンではないか。

現実世界の『リズと青い鳥

合奏が終わると、希美は音楽室を出る。青い鳥は部屋から出ていかなければならないからだ。そうして希美は再びリズに戻る。
みぞれは希美を追いかける。ここは1年時の再現だ。似たような経緯で、希美は一度、吹奏楽部を辞め、みぞれの前から姿を消している。他の部員には辞めることを伝えていたのに、みぞれには伝えなかった。その理由は、みぞれがコンクールのメンバーだったから。希美は嫉妬し、また同時に、邪魔をしてはいけないと考えた。だから、一緒に吹奏楽部を辞めようとは持ち掛けなかった。
今となっては、みぞれは希美をかなり正確に把握している。もう一度同じ状況になれば、また希美は勝手に自分で結論を出し、そっと身を引き、逃げ出してしまう可能性が高い。だからこそ、もう一度同じ状況になったら、今度こそ絶対に逃がさない。そう思っている。
理科室での大好きのハグのシーン。希美の足元は居心地が悪そうに、逃げ出したそうにする。しかしみぞれは逃がさない。最後には大好きのハグで、捕まえる。一度は不完全な状態で飛び立たされた青い鳥が、もう一度リズのもとにやってくる。現実世界の『リズと青い鳥』を、ハッピーエンドにするために。
「みぞれのオーボエが好き」
そのセリフの意味は、童話におけるリズのセリフとイコールだ。

エピローグ

階段での二人のセリフ。
「私、みぞれのソロ、完璧に支えるから。いまは、ちょっと待ってて」
「私も……私も、オーボエ、続ける」
これはお互いのリズが、お互いの青い鳥に向かって、自分の愛の在り方を主張しているセリフだと思う。
希美に一番でいて欲しいがために、本気が出せなかったみぞれ。それに対して「自分がサブをやる」と。だから全力でオーボエをやれよと。
みぞれを音大に行かせたいがために、一般大学に行く、と言い出せなかった希美。それに対して「オーボエを続ける」と。だから一般大学に行けよと。

映画『リズと青い鳥

童話の『リズと青い鳥』は、リズが青い鳥と決別し、成長する物語。
現実の『リズと青い鳥』は、傘木希美が鎧塚みぞれと決別し、成長する物語。
楽曲の『リズと青い鳥』は、鎧塚みぞれが傘木希美と決別し、成長する物語。
これらをすべて内包するのが、映画『リズと青い鳥』だ。すべてのリズに、それぞれの青い鳥が存在し、またその一つひとつに、違った「愛の在り方」が存在する。
「どちらがリズで、どちらが青い鳥か」
そんな問いかけは意味を持たない。どちらもリズであり、同時に青い鳥でもあるからだ。それゆえ、同じ声優が一人二役を担当し、青い鳥は「まるで空を映した湖のよう」と評される。
それぞれのリズは、自分のやり方で、青い鳥を飛び立たせる。
幸せの青い鳥は、手に入れるものじゃなく、飛ばすものなのだ。