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『メタモルフォーゼの縁側』感想。

17歳の地味目でマンガ好きな、ちょっとオタク気質のある女の子、佐山うらら(芦田愛菜)と、3年前に夫を亡くし生きがいを見失っていた75歳の老婦人、市野井雪(宮本信子)が、BLマンガをきっかけに出会い、仲良くなっていく、という物語。

もうめちゃくちゃに良くて、週末土曜日に観に行って、すぐ後に原作全5巻を購入・読破し、翌日無性にもう一度観たくなって、いそいそとレイトショーに出掛けてしまったぐらいハマってしまいました。

前後の Twitter はこんな感じでした。


芦田愛菜宮本信子の演技が本当に素晴らしくて、この二人の楽しげな会話をずっと観ていたかった。舞台に池袋がよく出てきて、若い頃はジュンク堂書店とかよく行ったから、個人的にはあの辺の景色が出てくるのもエモかったですね。

以下少しネタバレ。

演出の話。予告でも冒頭に少し挟まりますけど、落書きをゴシゴシって感じでうち消して、あとから進路調査票だったことに気付いてさらに修正テープで消す、みたいなところがある。あれは原作にはない演出ですけど、進路が決まっておらず、深層心理ではなんとなくマンガ家どうかなーと思ってるんだけど、いやいや無理でしょそんなのとうち消している、そんな感じですよね。

原作では意識してそうしているんだと思うんですけど、この作品は「夢はマンガ家!」みたいなわかりやすいゴールは避けて描いてて、あくまでも初期衝動を丁寧に描いている感じがして、それがとてもいい。別にそれで食っていけなくったって、やってみたいと思ったらやっていいんだよね。まあでも映画だと尺の制約も厳しいから、ちょっとわかりやすい表現になって、上述したような表現になったのかなって。商業的な成功はゴールじゃなくて、メルカリでマンガ家セット買って、小包開くじゃないですか、あそこがゴールだよなって。だからコメダ先生と重ねて描かれるわけで。商業でも同人でも、描くという行為自体は等価ですよと。それでもちゃんと本を作るまで行っちゃうんだから偉いですよね。

あとやっぱり走りがね、良かったです。やりたいこと、やるべきことが見つかった瞬間、溜まってたエネルギーが弾ける、そういう描写だと思うんですけど。

終盤、紡が滑り台の上にいるじゃないですか。最初、あそこ異様なシーンだと思って。あのサイズの男子があの遊具に乗るのちょっと無理があるような感じを受けたんですよ。イケメンだし。で、なんでかなって思ったんだけど、あそこ、うららが紡を見上げていた、という演出なんですかね? ずっと遠い世界にいて、なんか高い場所を見上げるように見ていた紡が、自分と同じように悩んだり、ビビったりしてたってことに気付いて、なんだ同じじゃんって。それで、地面に、自分と同じ目の高さまで降りてきて、自分はそういう、迷ってるときに、雪さんに背中を押してもらったから、同じようにしてあげなきゃって、紡の手を引いて走り出す。そんな風に見えて。

芦田愛菜、大好きになってしまった。

ちなみにうららが紡を送っていったのは京急蒲田駅で、非常によく利用する駅なので、あのシーンの場所を確認しに行ってしまった。完全に野暮な話をするとうららが走る先にあるのは普通電車の乗り場なので、品川に行くには20分ぐらい多く掛かることになり、普通に乗り継ぎミスですねw